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特集


核兵器のない世界へ
64回目の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

長崎は9日、64回目の原爆の日を迎えました。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園では、遺族や被爆者、来賓の麻生太郎首相、民主党の鳩山由紀夫代表のほか、核保有国のロシアを含めた過去最多数となる海外29カ国の代表も参列し「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれました。
式典は午前10時40分、八坂裕太君(16)県立長崎東高校2年、布施晴香さん(16)同の司会で始まり、遺族代表者らが、この一年間で死亡が確認された長崎原爆の被爆者3304人の氏名を記帳した名簿3冊を新たに奉安(死没者は14万9266人になりました)。献水、献花に続き、原爆投下時刻の午前11時2分に、参列した約5800人が黙とうをしました。

田上富久市長は長崎平和宣言で、オバマ米大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言したプラハ演説を、米国が核廃絶に一歩踏み出した「歴史的な瞬間」と評価し、世界の人々に、核廃絶への道を「共に歩んでいこう」と呼び掛けました。また、国連に提案された「核兵器禁止条約」に宣言で初めて言及し、国際社会に核廃絶への徹底した取り組みを求めました。被爆国の日本政府には指導的役割を果たすよう訴え、非核三原則の法制化や、核実験を強行した北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現を促しました。さらに、核保有国や疑惑国の指導者の名前を挙げるなどして世界各国のリーダーに、被爆の実相に触れるために長崎への訪問を要請しました。さらに、世界の人々に「歴史をつくる主役は、私たちひとりひとり」とメッセージを発し、「核なき世界」への行動と連帯を求めました。
被爆者を代表して原爆で家族8人全員を亡くした奥村アヤさん(72)が「平和の誓い」に立ち、「何十年たっても消えることのない苦しみと悲しみを生み出す核兵器は地球上にはいらない」と訴えました。

核兵器と戦争のない21世紀を!
2009ピースアクションinナガサキ(ナガサキ平和行動)

今年は通算31回目となる生協の「2009ナガサキ虹のひろば」を中心に、2日間で12のイベントが行われました。市内の被爆遺構をめぐる「生協平和のまち歩き」は、市内の有名歴史スポットや立山防空壕跡を見学し、あらためて平和について考えました。「2009ピースアクションinナガサキ」には、コープあいづからも2名参加しました。

参加された皆さんからの感想

被爆者への思いを寄せる長崎の再発見

斉藤いく子(会津坂下町)
長崎はこの夏一番の暑さで、暑いのひとことでしたが。被爆者は言い尽くせない暑さだったろうという思いで一歩一歩進みました。原爆資料館に着くと再びその暑い、熱い想いは、それ以上にこみ上げてきました被爆の実相や核兵器の恐ろしさは言うまでもありませんが、平和の大切さをいまさらながら強く感じることができました。翌日は長崎さくるガイドの八木さんの案内で”被爆地を見て歩こう”に参加、自ら被爆者である八木さんの案内は気持ちが込められており、涙の出る思いでした。
中心地から城山小学校までの被爆コースを、どんな惨状だったのか、子どもたちは熱かっただろう、痛かっただろうとの思いで防空壕、小学校資料館などをみて廻りました。
午後の「ピースアクションinナガサキ虹の広場」では、高校生の一万人署名活動が紹介され、若い人たちの平和活動や熱い気持ちがこれからの核の廃絶に力強い味方だと感動しました。その後会場を移して憲法九条を考える全国生協ネットワーク交流会では活発な話し合いがなされました。
さらに、核兵器をなくそう女性の集いでは、多くの諸外国の女性が参加し、各国代表からの核廃絶を訴えるという熱い大会でした。最終日の平和祈念式典での長崎市長の平和宣言では、広島市長がオバマ大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言した事を取り上げ、恒久平和は人類共通の願いである事を全世界に訴えた宣言でした。
三日間の平和祈念の想いを寄せる参加でしたが、いま平和で暮らせるのは、広島・長崎の被爆者の罪なき人々の犠牲者の方々の上にあることを、世界の人々に伝えていかなくてはなりません。高校生の言った「微力ではあるが、無力ではない」という言葉を胸に、平和活動をこれからもしていきたいと思った三日間でした。

人類みんな仲良く平和な世界に

三留ヨシ子(喜多方市)
私がこの世に産声を上げたのは60年前で、戦争を知りません。64年前の夏に原爆によって苦しい人生をおくられている方も未だに何千人とおります。
私は長崎に行き写真やビデオを見て、今でも苦しんでいる人の話を聞いた時は、涙が止まりませんでした。この3日間、食欲もわきませんでした。長崎の原爆資料館、女性のつどい、原爆の落下跡の小学校等を見学体験と、分刻みに動きましたので、体の休む暇はありませんでしたが、今回の平和行動に参加したことは、私の人生で忘れる事の出来ない想いとして心に残りました。
今、平和な世の中があるのは64年前のつらい出来事があったからです。決して忘れてはいけない事です。「そういう人達のためにも、人類みんな仲良く平和な世の中」にしていきたいものです。
今回このような良い機会を与えていただいたことと、一緒に行かれた皆さんに心から感謝いたします。長崎はとても暑かったです。

第15回平和のための戦争展・喜多方が開催されました

平和のあり方、平和の尊さ、ありがたさは今後も語り伝えていく事を念頭に、今年で15回目となる「平和のための戦争展」が7月9日〜12日の4日間開催され、930人の来場がありました。
展示品は、これまでの戦没者名簿や青い目の人形、B29爆撃機のプロペラ。アウシュビッツ平和博物館所蔵品、戦時下の生活用品・軍服・軍用品・戦争に関する写真パネルや資料・書籍の他に、復元原爆ドーム(産業奨励館)、福島に投下された模擬原爆の破片、更に今年は、広島に投下された「リトルボーイ」の原寸大(約3メートル)の模型も展示され、来場者の注目を集めました。

また、”十歳の頃から…「満州」引き揚げ体験”と題して、喜多方出身で「あの日夕焼け」「わたしの赤ちゃん」などの著書を出されている高橋政子さんの講演があり、中国の収容所で4人の弟妹を失い、引き揚げ時には9人家族が5人になってしまったむごい体験。半世紀過ぎた今も、母は亡くした子を想い、長生きしている自分を責め続け、私も消してはならない想いをいつまでも引きずって生きなければならない。二度と再び、私たちが遭遇したような「戦争」があってはならない。と強く訴えられ、来場者に感動を与える講演でした。

いのちと平和の尊さを学び伝える「市民の手づくりミュージアム」アウシュビッツ平和博物館

アウシュビッツは、第二次世界大戦時ナチス・ドイツ最大級の強制収容所です。150万人の尊い命が奪われたこの収容所跡は、広島の原爆ドーム同様、人類の負の遺産としてユネスコ世界遺産に登録されています。アウシュビッツ平和博物館は、同収容所跡を保存するポーランド国立博物館から借り受けた犠牲者の遺品・関連資料・記録写真を展示していますが、今年で5周年を迎えました。
9月23日までは、〜核兵器のない世界をめざして〜と題し、1954年3月1日にアメリカの水爆実験による「死の灰」をあびて被災したマグロ漁船「第五福竜丸」の展示が、東京都立第五福竜丸展示館の協力のもと開催されておりますので、ご案内いたします。

  • 入館料
    一般 500円・小中学生 300円
    AM10時〜PM5時まで(火曜日休館)
  • 場所
    白河市白坂三輪台245(白坂駅から徒歩5分)
  • 問い合わせ
    0248-28-2108
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