COOP化粧品の製造メーカーである双美人マークでお馴染みの「(株)クラブコスメチックス」奈良県の五條工場を訪ねました。
この会社は品質最優先主義を頑なまでに貫いている企業であり、さらに、よりよい製品づくり、高い品質、事故防止などシステム的に進めていくことを目的として、2004年にISO22716;2007(薬事法に類似した化粧品などの品質を保証する国際規格)とISO9001;2008(品質や顧客満足に関する国際規格)を取得しております。
COOP化粧品の開発は!
1971年頃、化粧品による皮膚トラブルが多発し、「化粧品公害」という新語が生まれるまでになりました。これが引き金となって、化粧品に使用されている原料、化粧品の有効性・有用性、価格の不透明感などに対する疑問が広がり、やがて「安心して使える安全な化粧品を生協でつくって欲しい」という要望が日本生協連に寄せられるようになりました。そこで、1972年になって「COOP化粧品」の開発に取組む事になり、翌年、化粧品専門委員会を設置しました。
当時、既に組合員に供給されていたCOOP商品は、洗剤や食品など400品目にのぼっており、それらは全て日本生協連が自ら処方を組み立て、或いは品質基準を設定して商品開発したものでありました。しかし、化粧品の場合は医薬品に準ずる扱いであり、厚生省(現在の厚生労働省)の認可を必要とするため、開発作業の最初からメーカーも参加することとし、メーカーの選定作業から着手されました。
メーカーを選定する基準は、原価の公開、使用原料の公開と明示(製品の全成分記載)、各成分の安全性データの提示、製造元の知名度・信頼性など、多岐詳細にわたる厳しいものでした。そのような状況の中、クラブコスメチックスに対して、組合員をはじめ幅広い消費者ニーズに応えるため、日本生協連は折衝を進めました。そこで、長年にわたって積み上げてきたクラブブランドに対する信用、歴史的伝統に裏付けされた製品開発の技術力、消費者に対する真摯な姿勢を高く評価し、製造担当会社をクラブコスメチックスと決定したのでした。
1974年から75年にかけて、オイルショックに伴う経済混乱のため、開発は一時中止しましたが、翌年には再開し、1977年1月に日本生協連に家庭用品雑貨専門委員会が設置され、化粧品専門委員会の作業が継承される事になりました。
その年の8月にはテストグループ400人による使用テストを行なって処方を決定、12月にはアンケート用紙付きミニセットを発売し、更に組合員の意見をくみ上げました。この時点で、モニターアンケートは8000以上となり、1978年4月に「フェイスソープ」「ナリシングクリーム」「スキンローション」「コールドクリーム」の基礎化粧品四種類6品目が発売されました。この開発時点(32年前)から成分表示・製造年月日表示を行なわれました。(一般の化粧品は、2001年頃から表示をはじめている)
翌年には、組合員の要望により、メイクアップ化粧品の開発も始まり、多くのテストを経て1980年にファンデーション四色、コンパクト四色、ほほ紅二色、口紅七色が発売されました。
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その後、コープ化粧品を基本に、さらに色調や使用感のグレードの高いものをとの組合員からの要望に応え、肌別対応スキンケアシリーズ「ステラマリス化粧品」を開発、1990年に発売されました。COOP化粧品は「安全・安心・低価格」をコンセプトに、天然材料にこだわり、肌への安全性を最優先して開発された製品として、全国の組合員の絶大な支持を得ています。
このような化粧品の開発事例は欧米の生協でも例がないといいます。
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