核兵器のない世界へ!
広島市平和祈念式典開催
去る8月6日(月)、広島市の平和記念公園に於いて、広島市主催の平和祈念式典が被爆者や遺族、市民など、約5万人が参加し、開催されました。広島県や政府代表、世界72カ国・地域の大使らも参列し、松井一實市長らによる献花の後、原爆投下と同じ午前8時15分に参列者全員で1分間の黙とうが行われました。
松井市長は「平和宣言」の中で、「被爆者は、ヒロシマで原爆を身をもって体験し、後障害や偏見に苦しみながら生き抜いてきました。そして自らの体験を語り、怒りや苦しみを乗り越え、核兵器の廃絶に尽力してきました。広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぐ伝承者育成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。世界中の皆さん、ぜひ、広島を訪れて下さい。
また、平和市長会議は今年で設立30周年を迎えました。2020年までに核兵器廃絶を目指す加盟都市が5,300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。」と力強く結びました。
また、こども代表の2人は「平和への誓い」の中で福島から避難してきた子供たちについて触れ、「故郷を離れ、広島の小学校に通う事になった私たちの仲間、初めは震災の事や福島から来た事を話せなかった。家族と一緒に生活できない事、突然友達と離ればなれになり今も会えない事を勇気を出して話してくれました。『わかってくれてありがとう。ヒロシマに来て良かった。』その言葉が嬉しかった。辛い出来事を同じように体験することは出来ないけれど、私たちは想像することによって共感する事が出来ます。悲しい過去を変えることは出来ないけれど、私たちは未来を築くための夢と希望を持つ事が出来ます。平和は私たちで作るものです。身近なところに出来る事があります。違いを認め合い、相手の立場になって考える事も平和です。思いを伝えあい、力を合わせ支えあう事も平和です。私たちは平和を作り続けます。仲間と共に行動していくことを誓います。」と力強く述べて、出席した5万人の参列者に感動を与えました。
今回は、コープあいづからは3名の代表者が参加し、被爆の実相、平和の大切さについて学びました。以下、参加した3名の感想文をご紹介します。
■『未来を信じて』喜多方市・安藤恭子
以前から、必ず広島に行ってみたいと思っていた夢がようやく叶いました。毎年、夏になると戦争関連の番組があり、広島、長崎に落とされた原爆の恐ろしさを知っていたつもりでした。広島の被爆者の方々に会うまでは…。
日本生活協同組合主催の「被爆の証言」で、3人の被爆者の方々のお話しを聞く事が出来ました。それぞれに大変な体験をされた方々でしたが、共通の発言が3つありました。1つは、戦争は人を人とも思わなくなる、死体が目に入ってこようが、そばに転がっていようがまたいで歩いてゆく、つまり心を持たなくなってしまうという事。何もかも奪った上に人の心まで奪ってしまう残酷さ。私は堪らず涙があふれてしまいました。
2つ目は、戦争の残酷さ、愚かさを決して忘れない事。なぜなら、忘れた頃にまた同じ過ちを繰り返してしまうから。
3つ目は人の命を1番と考え、人と人との繋がりを大切にお互いを思いやることが出来る人間になる事。
でも現実は、世界中の人々の心が同じになるのは難しいかもしれません。しかし、そのためにも被曝された方々の証言を後世に語り継がなければならないのです。決して忘れてはならないと思いました。
平和記念式典では、野田首相をはじめ、各国の代表が参加しましたが、まだまだ核兵器を保有している国は沢山あります。子供たちの未来のために核兵器の廃絶に向かって、私も力を入れていきたいと思います。明るい平和な未来を信じて…。
■「戦争とヒロシマ」 喜多方市・高校3年 安藤瑛美
私は以前から戦争について関心があり、このヒロシマ平和行動に参加してみようと思いました。中学生の時は沖縄に行き、戦争と日本兵の残酷さや愚かさを学んでいたので、ヒロシマではどの様な事があったのか知りたいと思ったのです。
広島に着いて、まず感じたのは、戦争に関する碑や遺物があちこちにあり、思っていたより数が多く、広島の人々が原子爆弾の悲劇を後世の人たちにどれだけ伝えて行きたいかがうかがえました。そして、実際に被爆された3人の方の戦時中のリアルで衝撃的な体験をお聞きして、抽象的に思い浮かべていた「原子爆弾投下」ということも、より鮮明に生々しく、まるで自分がそこにいたかのように思い浮かべる事が出来、まさに今原爆が落ちてくるのではないかという恐怖に襲われました。
平和記念公園のガイドさんが言っておられましたが、「過ちを繰り返さないためには、個人の幸福を追求するのではなく、他者との共存や和解を追求しなければならないのだ。」私もそう思いました。そして、平和祈念資料館で多くの亡くなられた方の遺品や体の一部を目の当たりにし、言葉を失ってしまいました。自分が思っていた以上の惨劇がこの地で起きていたことに愕然としました。戦争は人間が作り出したものです。一人ひとりが思いやりの心を持っていればもう二度と起こすことはないと思います。
そしてこの世界にある核兵器を一日でも早く無くしていきたいと思っています。
■「平和を願って」喜多方市・山崎ユリ子
初めて被爆者の証言を聞きました。毎年この時期になると忌まわしい記憶がよみがえるそうです。67年前の8月6日、畑仕事をしていたら、空がピカッと光って衝撃がありました。爆心地からは約3キロ離れていたところでも体が火傷するほどの熱さで、家が燃えたところがあったそうです。また、爆心地では空は暗くなり雲が出て黒い雨が降る中、爆風を浴びたり被爆したために逃げ場を失い、元安川などの河川に逃げ込んで沢山の人が亡くなったそうです。周囲には、着ている服が燃えたままの人が沢山いました…。自分は死んだ人の体を踏んづけて川の水をガブガブ飲んで助かったそうです。話を聞いていて本当に心が痛んで涙が止まりませんでした。
私は戦後生まれで戦争を知らない時代に育ってきました。しかし、広島に行って、実際に見て、聞いて、本当に広島の方々の苦しみがわかりました。やはり、なんといっても平和で安心できる世の中を世界中に広げていかなくてはなりません。アメリカやロシア、中国などが保有している核兵器を2020年までに無くすために日本政府が世界に呼び掛け、国民も声を張り上げてゆかなければならないと思いました。
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組合員の皆様のご支援により参加させて頂き、心より御礼と感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
参加者より |