「第25回 平和のための戦争展・喜多方」講演会報告
「戦場体験を受け継ぐということ」
~ビルマルート拉孟(らもう)全滅戦の生存者を尋ね歩いて~
講師/遠藤 美幸(えんどう みゆき)さん(東京都在住・研究者)
ビルマ戦線とビルマルート拉孟全滅戦とは?
1930年代から中国に侵攻していた日本軍は、蒋介石軍に手を焼いていた。蒋介石軍は、英領ビルマを通るビルマルートと呼ばれる補給路によって英米の連合軍から軍需物資の補給を受けていたので、日本軍は、これを遮断する目的で1941年の開戦後まもなくビルマに侵攻した。
日本軍は1942年にはビルマ全土を制圧するが、1943年末には圧倒的な兵力と物量を持つ連合軍の猛烈な反攻に遭い、1944年7月にインパール作戦が失敗。9月にはビルマルート拉孟で軍が全滅しビルマ防衛作戦は破綻。これを機に1945年3月のアウンサン率いるビルマ国軍の反日蜂起により日本軍が一気に劣勢に転じた。
敗戦まで続いたビルマ戦線の戦死者は膨大で、約33万人の兵力のうち、19万人が戦死。戦死者の約8割がマラリア、赤痢、脚気、栄養失調などが原因の餓死や傷病死だった。
1944年の6月以降、1,323名の拉孟守備隊は、約4万の中国軍の包囲により補給路を断たれ、100日間の戦闘の末に9月7日に全滅。全滅の主な理由は兵力不足、軍需物資の欠乏、制空権がないこと。拉孟は『最後の砦』ではなく、軍上層部が撤退する際の時間稼ぎの「捨て石」にされたのです。
≪生き残った将校兵士から聞き取った証言から…≫
・「軍参謀の黍野弘」~「参謀の辻政信と私は、作戦が成功するとは思っていなかった」と告白。
・「早見正則上等兵~米国で開発された中国軍の新型兵器・火炎放射器の威力は物凄く、多くの兵が犠牲になった。その凄惨さは筆舌を尽くせない。壕の中は膝までぬかるんで、敵の砲弾が凄くて頭を出すことも出来ず、用便は砲弾の薬きょうを空き缶代わりにしてすませ、壕の外に放り出した。
・「平田敏夫歩兵2等兵」~98年11月、遺骨収集と慰霊の実現を目指して、雲南戦場を戦った元兵士と遺族らにより龍陵に「白塔小学校」を寄贈した。しかし中国に於いては遺骨収集と慰霊は許可されていない。小学校は現在は幼稚園に。
≪慰安婦の女性の証言≫
・「朴永心」~1939年8月、朝鮮の奉公先で日本人巡査に「お金が稼げる仕事があるが…」と誘われ、南京まで連行。キンスイ楼という「慰安所」に入れられたが、1943年、拉孟に連行。陣地脱出時は妊娠中で、その後切迫流産し、子供が産めない体となる。「砲弾の嵐の中で、屈辱に満ちた生活を送り、幸運か悲運か生き延びてしまった。故郷に帰ってからも当時の記憶に苛まれ、まるで罪人のような気持ちを抱えて生きてきた。悪夢に襲われ、人々に過去のことを知られまいと隠し通し、耐え難い苦痛を抱えて生きてきた。私は人生のすべてを失った。恥ずかしい。自殺したい」
いま、「戦場体験」を受け継ぐということ、とは?
70数年前の戦争は遠い物語ではなく、今を生きる私たちの身近な問題に通じる。今の日本には、かつての戦争を引き起こした体制(組織)がそのまま引き継がれている部分がある。権力者はいつの時代も自分たちの都合のいいように社会を変えようと試みる。それを「おかしい」と感じる人々を削いでゆくのも戦時期と同じやり方。戦時期は言っただけで憲兵の取り締まりの対象となった。
たとえ少数派でも「おかしい」と自由に言える社会であってほしい。保身や目の前の利益に左右され、長期的な判断を見誤ると未来に大きな禍根を残す。すなわち戦争を招くことにもなりかねない。過去の戦争には直接関係のない世代でも未来の「選択」には重大な「責任」がある。たとえ日本人が「私には関係ない、日本人だけが悪いわけじゃない。もう過去のことでしょ…」と思っていても、諸外国からは「日本人は侵略した過去の歴史から学ばない」と思われている。この日本人の閉鎖的な『自国中心史観』は世界では全く通用しない。
では、なぜ戦争を学ぶために元兵士の「戦場体験」が必要なのか?
戦争は究極の人権侵害と人間抑圧。大日本帝国憲法下で天皇の臣民として命を投げ出し、命を奪ってきた元兵士たちが語り、記した戦場の現実を知ることなしに、「平和」も「憲法9条」の意味も語れない。戦争の被災体験だけでなく、戦場での加害の事実を含めた「戦場体験」を次世代に受け継いでいかなければならない。今、知ろうとしない人たちによって、「憲法9条」は蔑ろにされようとしている。真に平和な世の中を望むなら、戦場の現実の中から見える「本質」を知り、今の自分の生きている時代を見つめ直して戦争につながる芽を摘むこと、けん制すること、未来のために何を選び取るかを「判断」すること。戦争にどう向き合い、どう受け止めるかの“私たちの今の生き方”が問われている。
≪ビルマ戦の元兵士の細谷寛さん100歳の伝言≫
「戦没した戦友の願いは私たちが日々心豊かに助け合い、安心して楽しく暮らす事、戦争のない平和を希求することだが、今の日本の現状を見て戦友はどう思うだろうか。こんなはずじゃなかったと言わしめてはいないか。年に1度の慰霊祭や2度の原爆忌で冥福を祈るだけでは彼らは満足しないでしょう。」
講演者の皆さん
「撃沈空母から生還した
父の体験を語る」
講師/渡部 英記(わたなべ えいき) さん(市内松山町在住)
「戦時下の体験を語る」
―集団学童疎開の受け入れ・食糧増産隊・松根油―
講師/大澤 君一(おおさわ きみいち) さん(市内熱塩加納在住)
「特攻隊で戦死した
兄の思い出を語る」
講師/長川 和子(はせがわ かずこ) さん(市内花園町在住)
「声を出せなかった
戦争孤児たち」
講師/衣山 武秀(きぬやま ひでたけ) さん(棚倉町在住) |