昨年12月4日に行われた「第27回平和のための戦争展・喜多方」の講演会から、原爆投下の予行練習として福島に落とされた「模擬原爆」についての講演の内容をご紹介します。
①米軍の空襲は、情報に基づいて綿密に計画された
・戦前に公表された国勢調査等を収集。
・写真専用偵察B29による空撮、空襲前の気象観測。
・捕虜による供述。
②東北で最初の空襲は1944年12月22日未明のいわき市赤井炭鉱、B29一機
③1945年3月10日に、いわき市平爆撃
東京大空襲の余波。16人が死亡、585戸被災。夜間低空による本格的都市空襲の始まり。
・180都市候補。レーダー爆撃に不向きとして福島、郡山、会津若松は候補から外れた。
④1945年4月12日「保土谷化学郡山工場」爆撃。化学工場攻撃の先駆け
・「日東紡富久山工場」と合わせ167機出撃。1800発の通常爆弾投下。460人が犠牲。うち30人が動員学徒。
⑤1945年7~8月の米英機動部隊による飛行場攻撃
郡山の3飛行場。原町飛行場、矢吹飛行場、磐城飛行場のほか、磐越東線や常磐線沿線が艦載機の攻撃を受けた。
①原爆投下は、最新鋭のB29・15機や整備クルーで第509混成群団を編成、テニアン島に基地を置き、ワシントンから直接指示を受け運用した。
②長崎型と同じ模擬原爆は黄色に塗られていたためパンプキンと呼ばれた。重さが約4.6トン、長さが3.25 m、最大幅は1.52mの巨大さで、直接搭載できなかったため、滑走路に穴を掘って収容し、B29に吊り上げた。全体の90%が鉄で、高性能爆薬を詰めた。確実に爆発するよう弾頭に3つの瞬発信管がつけられた。
③原爆投下部隊は1945年7月20日からパンプキンによる原爆投下訓練を開始、8月14日まで49発を落とした。目標となったのは、都市空襲を逃れた “残り物” だった。白昼、高高度から目視で投下し、急旋回して離脱するとのマニュアルに基づいた。このうち、福島県内には5発が投下され、全国で最も多かった。
④7月20日は10機が出撃し、5機が福島市、郡山市を目標とした。実際の投下は、福島市渡利(福島製作所目標)、いわき市下高久のため池(郡山市・日東 紡第三工場目標)、いわき市内郷の山中(長岡市目標・着弾未確認)、エンジントラブルで洋上投棄(品川製作所目標)だった。
⑤7月26日は平一小を直撃し全壊、校長ら3人が即死
(長岡市目標)した。7月29日は、「日東紡第三工場」が全壊、15人が亡くなった。また、郡山操車場も爆撃され、21人が死亡、負傷者も200人を超した。
⑥全国での死者は約400人、京都府舞鶴では1発で97 人が死亡した。福島県は43人が死亡し、負傷者は1,200人だった。
⑦破片は、福島市瑞龍寺(重さ15キロ、長さ50センチと最大)、明成高校、福島市歴史資料館、県立博物館、平一小に保管されている。
※当日配布資料の一部を転載しました。
環境委員会で「エコライフチャレンジ」抽選を行いました!
環境委員会がすすめている「コープあいづエコライフチャレンジ」。応募総数約220名の中から、80名の方へ「エコ商品をプレゼント」として、1月13 日㈭会津若松宅配センターにて抽選を行いました。
※当選者にハガキが届きます。各店のサービスカウンターで今月末まで引き換えとなります。
「第4回 組合員限定大抽選会」の当選者が決定しました!
1月中旬、総額200万円分の商品券が当たるキャンペーンの抽選が、各店舗にて店長により行われました。
今回は応募総数19,162枚の中から、1,565本の当選者が決まりました。今回も、多くの組合員さんにご参加いただきありがとうございました。
なお、当選された方には、1月の下旬頃に当選ハガキを郵送いたします。お手数ですが、当選ハガキを該当店舗サービスカウンターまでお持ち下さい。商品券と交換させていただきます。